2005年12月05日
三線〜「私の人前で演奏デビュー」シリーズ:船長・高野さん
(船長・高野さん)
三線と琉球楽器の店える・おきなわです。
忘年会、新年会の季節が近づいております。当店のあるお客様は、内緒で練習していた三線を忘年会で隠し芸として披露し、みんなをあっと言わせたとか。
自宅で練習という枠を超えて、人前で演奏するようになって、楽しくてたまらない、というお声をたくさんいただきました。
「まだ少し自身がないけど、いつかは人前で三線を弾いてみたい!」とお考えの方のために、すでに人前演奏デビューを果たしている方に、デビュー時のことを語っていただきました。
これを読んで、勇気を出して演奏デビューし、新しい喜びを体験される方が増える事を祈念いたします!
トップバッターは、船長・高野さん。
佐渡國 惣栄丸海産の代表です!!
〜私が初めて人前で三線を弾いた日〜
佐渡國 船長・高野康広
私は2年前、初めて三線を手にしたときから、とうぶんの間、“隠しの芸”としておこうと決めて、沖縄民謡を練習してきました。したがって、当然、人前で弾くなどと、さらに前提にはありませんでした。
徹底した“隠しの芸”をきめこんで、1年・・・。
いよいよ私にも人前で三線を弾く機会が訪れました。それは、つきなみですが東京に住む従兄弟の結婚式が人前デビューの舞台となりました。
しかし、私の場合、少し風変わりで、弾いた曲は沖縄民謡ではなく、ご当地「佐渡おけさ」だったのです。それというのも、結婚する従兄弟の両親というのが、佐渡ヶ島の、しかも同じ地区の出身であるため、披露宴に親戚としてよばれる方々はほとんどが佐渡ヶ島出身の人たちばかりだったためです。私の三線の地謡で、佐渡おけさの唄い廻しをやろうということになったわけです。
当日、会場は新宿の某所。バックには鮮やかな大漁旗。司会者に紹介され次々に前にでていく佐渡群団。三線を片手にでていく私、船長・高野。
結婚式で三線を弾く高野さん(右端)
「なにさぁー、康広、そんね芸もっとるのんか」と冷やかされる。ストラップも市販のものではなく、漁師の特色を出すためにロープをダブルチェーン状に編み込んで自作したものをもっていきました。
佐渡おけさは、単調な演奏で唄えますし、この日のための練習は、伴奏、唄ともに1ヶ月くらいやりましたので、特にまちがえたらどうしよう・・・などというプレッシャーはありませんでした。
当初は飽きないように、3節くらいでやめておこうという予定が、チャンカちゃんかと始まったら、満場の手拍子が始まり、1番を唄い終わったおじさんが踊り始め・・次へと唄がまわる。会場の受けがよく、6人目6番の唄がでる。とうとう飛び入り参加者まででる。会場の片隅からなぜか沖縄風の「イヤササ」「イヤササ」の合いの手まででてきてしまいました。琉球・佐渡國混合です。
思いの外の盛況ですごく嬉しかったことを覚えています。
このとき私は、地謡と合いの手に徹しました。そして、披露宴がおひらきになってから、ロビーで佐渡おけさの語り弾きをやりました。
”隠しの芸”でやっていた頃は人前で弾くことじたい、なにか恥ずかしいやらでなかなかできなかったのですが、この日、公表芸になったとたん、なんだかふんぎりがついたというか、もう周りの人たちが、「康広はああいう芸がある」ということで、あたりまえに見てくれるようになったため、徐々に私自身もなれてきて、今では特に何の抵抗もなく人前で弾けるようになりました。
今現在、人前で弾く時には、てーげー(たいがい)佐渡の人の前での場合が多いですから、曲と言ったら、佐渡の民謡が多いです。酒席で佐渡おけさや、七浦甚句を弾けば、誰しもが一節や二節は
唄いたくなるようです。
もちろん、三線を始めた当初から、沖縄の民謡に魅力を感じて志したわけですから、今でもその気持ちは変わらず、練習している曲の中心は沖縄の民謡です。
自分の弾く三線、そして唄に、人がのってくれると言うのは、すごく気持ちがいいです。人をのせられる三線・唄に、私は醍醐味を感じます。何か1曲でもそんな曲を見つけ、練習曲に加えてみてはいかがでしょうか。
高野さんありがとうございます(^^)
結婚式がきっかけで、人前デビュー。大切な人に祝福の気持ちを伝えたい!という思いが、人前で演奏する大きな後押しになったのかもしれませんね。
毎朝、陽がのぼるまえに船上の人となっている、船長・高野さん。高野さんの佐渡國 惣栄丸海産はこちらです!
→→佐渡國 惣栄丸海産
沖縄の三線(三味線)、エイサー、笛、沖縄衣装はえる・おきなわへ
徹底した“隠しの芸”をきめこんで、1年・・・。
いよいよ私にも人前で三線を弾く機会が訪れました。それは、つきなみですが東京に住む従兄弟の結婚式が人前デビューの舞台となりました。
しかし、私の場合、少し風変わりで、弾いた曲は沖縄民謡ではなく、ご当地「佐渡おけさ」だったのです。それというのも、結婚する従兄弟の両親というのが、佐渡ヶ島の、しかも同じ地区の出身であるため、披露宴に親戚としてよばれる方々はほとんどが佐渡ヶ島出身の人たちばかりだったためです。私の三線の地謡で、佐渡おけさの唄い廻しをやろうということになったわけです。
当日、会場は新宿の某所。バックには鮮やかな大漁旗。司会者に紹介され次々に前にでていく佐渡群団。三線を片手にでていく私、船長・高野。
結婚式で三線を弾く高野さん(右端)
「なにさぁー、康広、そんね芸もっとるのんか」と冷やかされる。ストラップも市販のものではなく、漁師の特色を出すためにロープをダブルチェーン状に編み込んで自作したものをもっていきました。
佐渡おけさは、単調な演奏で唄えますし、この日のための練習は、伴奏、唄ともに1ヶ月くらいやりましたので、特にまちがえたらどうしよう・・・などというプレッシャーはありませんでした。
当初は飽きないように、3節くらいでやめておこうという予定が、チャンカちゃんかと始まったら、満場の手拍子が始まり、1番を唄い終わったおじさんが踊り始め・・次へと唄がまわる。会場の受けがよく、6人目6番の唄がでる。とうとう飛び入り参加者まででる。会場の片隅からなぜか沖縄風の「イヤササ」「イヤササ」の合いの手まででてきてしまいました。琉球・佐渡國混合です。
思いの外の盛況ですごく嬉しかったことを覚えています。
このとき私は、地謡と合いの手に徹しました。そして、披露宴がおひらきになってから、ロビーで佐渡おけさの語り弾きをやりました。
”隠しの芸”でやっていた頃は人前で弾くことじたい、なにか恥ずかしいやらでなかなかできなかったのですが、この日、公表芸になったとたん、なんだかふんぎりがついたというか、もう周りの人たちが、「康広はああいう芸がある」ということで、あたりまえに見てくれるようになったため、徐々に私自身もなれてきて、今では特に何の抵抗もなく人前で弾けるようになりました。
今現在、人前で弾く時には、てーげー(たいがい)佐渡の人の前での場合が多いですから、曲と言ったら、佐渡の民謡が多いです。酒席で佐渡おけさや、七浦甚句を弾けば、誰しもが一節や二節は
唄いたくなるようです。
もちろん、三線を始めた当初から、沖縄の民謡に魅力を感じて志したわけですから、今でもその気持ちは変わらず、練習している曲の中心は沖縄の民謡です。
自分の弾く三線、そして唄に、人がのってくれると言うのは、すごく気持ちがいいです。人をのせられる三線・唄に、私は醍醐味を感じます。何か1曲でもそんな曲を見つけ、練習曲に加えてみてはいかがでしょうか。
高野さんありがとうございます(^^)
結婚式がきっかけで、人前デビュー。大切な人に祝福の気持ちを伝えたい!という思いが、人前で演奏する大きな後押しになったのかもしれませんね。
毎朝、陽がのぼるまえに船上の人となっている、船長・高野さん。高野さんの佐渡國 惣栄丸海産はこちらです!
→→佐渡國 惣栄丸海産
沖縄の三線(三味線)、エイサー、笛、沖縄衣装はえる・おきなわへ
Posted by えるおきなわ at 17:30│Comments(0)
│インタビュー